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つなぎびとの言霊
インタービュー030 徳本 敏子 さん
~学生時代から~
光市出身。金沢の医療技術短大、
一期生で卒業。当時は新幹線も開通していない時代(笑)泣き泣き夜行列車で進学しました。バイトをして帰省。地元では開業医でバイトして帰りの旅費を稼ぐという、そんな学生時代でした。その時代に看護師という職業は、なにも病院だけではなく、その人の一生を支える仕事。これからは地域にどんどん出ていく仕事という最先端の医療を教えていただきました

~きっかけ~
就職は、当時、移転前の徳山中央病院で1年現在の病院に4年トータル5年勤務し、結婚。看護師として子供を預けながら働くことが難しく、退職し10年ほど、家庭にいました。子育てをする間、地域の学校役員や体育振興会などの
地域活動を行いながらも、どこかに仕事をしたいという気持ちはありました。一番下の子が、小学2年生になってから、保健センターへ予防注射のバイトへ行っていたのですが、その時に保健師さんから、つづみ園デイサービスの看護師として働く誘いを受けたことがきっかけです。


当時は措置制度。平成元年、
つづみ園デイサービスが徳山市内で一番初めに出来たデイサ―ビスでした。1年目は市の定年退職された保健師さんが勤務され、平成2年からの後任を探している時期でした。そこで3年間、9~15時まで。月14日の勤務から始めました。その時は、市内に1ケ所しかデイサービスが、なかったので、湯野から、鼓南、須金等々・・徳山市内全地域のことが勉強できました。それから、次第にデイサービスも増えていき、平成5年に初めて在宅介護支援センターが設置されることとなり、在介、デイサービスの兼務という形で、3年間の下積みを経て、正職員としての勤務が始まりました。それが、40歳の春です。(笑)

~いままでを振り返って~
懐かしい話ですが、当時は、
総合利用券といって、一度申請すれば、福祉の3本柱、訪問介護、デイサービス、ショートステイが使えるといった制度がありましたね。それから、私がデイサービスをやっている頃から比べると認知症の人が増えてきたなという実感はあります。もちろん、施設、事業所も増えてきました。在介では、医療系と福祉系の職種が一緒に仕事をするというスタイルで、当初、介護福祉士の方と、その後は社会福祉士の方と一緒に仕事をしていました。最初は、在宅介護支援センターが居宅介護支援事業所も兼ねていた時もありましたね。
仕事を長く続けていると、折々にターニングポイントがあります。制度はころころと変わります。一生懸命で何とか周囲に助けられて元気にやってこられたこと。それが私の財産ですね。今は継続雇用ですが、私には私の役割があると思っています。(笑)

この職業になって思ったのは、福祉系の人とは見るポイントが違うということでした。ここで、私はその人の生活から入り支援していくことを学びました。そこはお互いだと思いますが。だから、専門的なことをリスペクトしながら、連携ができる人が出てこないといけませんし、自分の専門の仕事だけしておけばいいというものではありません。そういう力がある人が、どういう基本ベースであれ、必要だと思います。これからは基本ベース、プラス力を身に着けることが必要だと思います。振り返ってみると、私は、ずっと在宅派です。好きだったのかな。
ここまで勤めてこれたけれど、自分が中途半端なような気持ちになる時があります。でも、自分を弁護するわけではないですが、案外、中途半端だから、仕事を長く続けられたのかもしれません。
専門性だけに特化した考えであれば、鼻持ちならない所も出るでしょうし。私も悩み、いろいろ考えて、社会福祉主事資格なども取得した時期もありましたが、ある短大の看護講師の方が、何かの講義と時に「医療職の人で、この業界に居ながらも不満を持ち続け、文句を言う人は、病院にいけばいい。」と話されました。これは、その時の自分の心に、グサッと刺さりましたね。やはり看護職は、理論的に病気予後の内容の説得をしないと専門職のリスペクトにはならないし、看護職は出来る限り現場、介護に携わる人が納得できるような説明が出来ないといけないと思いました。

~新しく始めていくこと~
平成4年頃、医療は一日でも早く在宅へ返す。病気にならないようにすること。私は何をすればいいのかと悩んでいて、いろいろ探していたときに、
健康運動指導士という資格を見つけ、すぐにこれだ!と思い取得しました。東京に1週間×3回資格取得しにいきまし、資格更新には、5年の間に20単位取得が必要となります。でも、そのおかげで仕事はもちろん、自身の体調管理が行え、施設内での研修等を行うことにも役立てられています。

~仕事を続けていく~
仕事を続けられたのは、
元気だったから。これはとても大切なことです。仲間といろいろなことを学べたことも

自他事業所問わず、業界の輪の中で介護保険創設時からの
仲間と支え合うことも力になっていますね。介護保険を立ち上げて、支えてきたという自負は、皆が持っていましたから。辞めたいと思ったことはないですね。あ、最近かな・・(笑)。やはり、自分が60歳に近づくと心身の老いが分かります。好きなことはやるのですが、苦手なことはしなくなりましたね。あとは、落ち込んだ時の気持ちの回復が遅いかな・・。長い年月に間には、担当を変えてと言われたこともありましたし・・。

あと、一生懸命やること。このことは、自分でも出来ることとして、取り組んできました。


~これから、この仕事を目指したい人たちへ~
さっきも、お話しした
連携する力。これはコミュニケーション能力だったり、いろいろな要素がありますが、自分の仕事をして相手の仕事も理解できる人。本当に広い範囲での人と繋がらないといけませんから。福祉系の人は生活の面から連携していけばいいと思います。どれだけ専門性を活かしリスペクトしながら行えるかですね。あと元気なこと。そんな人が、どんどん増えてもらえたらと思います。あと、我々も若い時代、世代に順応していかないといけませんね。

そして、
そこに居るということ。それがきっかけとなります。転機の時に、元気にそこに居るということ。石の上にも3年。節目、チャンスの時、誰かが見て声をかけてくれます。合併前の徳山市介護支援専門員連絡協議会の初代会長となったのもそこに居たからではありますが・・・。

私のベースの中に、デイサービスで市内を走りまわった頃の経験が強く残っています。

デイサービスは一期一会
。相談の基礎もそこでできたのかなと思います。お風呂前に健康チェックで相談も行っていましたね。そこでは、自分自身を責めてしまう、忘れられない悲しい別れもありました。そういうことも含め、若い人には、いっぱい経験をしてほしいです。根性論ではないけれど。極める極めないは別にして、その場で歯を食いしばって頑張る。でないと、声もかからない。私にインタビューの声がかかったのも、きっとその辺りのことが言えるからでしょうね(笑)。そこに居ることが大切です。


徳本さん、本日は師走のお忙しい中、貴重なお話を本当にありがとうございました。


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